難病により生後3ヶ月で成長を止めた17歳の女の子。命尽きるその日まで戦い続けた彼女の軌跡と家族の苦悩

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難病により赤ちゃんのまま

成長を止めたペイ・シャン・テオちゃん。

見た目こそ赤ちゃんそのもののペイちゃんですが、

彼女は17歳の毎メロディが好きな女の子です。

生まれたばかりのペイちゃんは通常の

新生児と比較し手足が短いことを医師から

指摘され、繰り返し検査を受けてきました。

これは病気と闘い前を向き続けた少女と、

それを支えた家族の苦悩のお話しです。

生後3ヶ月で止まった成長

ペイちゃんの両親は、新しい命を授かったときの

ことを今でも鮮明に覚えているといいます。

育児本を読み漁り、育児雑誌も定期購入の準備まで

済ませ我が子の誕生を心待ちにしていました。

成長の1分1秒をも記録する準備を整え我が子の

誕生を喜びましたが、それらが長く

続くことはありませんでした。

というのも、ペイちゃんが誕生して3ヶ月後に

彼女の成長がストップしてしまったのです。

何度も繰り返し検査を受けたペイちゃんですが、

その原因はとうとう解明されることはありませんでした。

しかしその検査結果の中で、骨や内臓、中枢神経に

影響を及ぼす先天性疾患に加えムコ多糖Ⅲ型を

患っている可能性を指摘されます。

この病気が直接関係しているかは不明ですが、

ペイちゃんの身体は通常の子供の様に

成長することができませんでした。

身体の成長と比例するかのように、精神も時が

止まったかのように封じ込まれてしまいました。

「私たちが、1つハードルを乗り越えたと

思うたびに、もう1つの打撃を食らうのです。

私たちは、喜びと苦しみの感情の

大波乱を味わうことになるのです…」

そう語るペイちゃんの両親と

ぺイちゃんの17年にわたる戦いが始まりました。

家族の苦悩

ペイちゃんの顔の手足には赤ちゃん特有の

乳児脂肪がついており、オムツを

つけ無ければなりませんでした。

例え何年という月日が過ぎ去ったとしても、

赤ちゃんのままのペイちゃんが成長することはありません。

肺気量がいつも制限されるので酸素マスクも装着しています。

ペイ・シャンちゃんの育児に掛りっきりの母親は、

彼女の世話に専念するために銀行員の仕事を辞めました。

「私たちの”出産前の幸せ”は、

絶望の淵に追い詰められるような気がしました。

時々考えるのです。なぜ私たちが背負うことになるのか。

私たちが前世でいったい何をしたというのですか?…」

しかし嘆いたところで現状が変わることはなく、

両親の世話がなければペイちゃんは生活することができません。

ふたりには他の何かを考える余裕などなく、

目の前の現実を克服するために集中するしかありませんでした。

そして両親にはもうひとつの心配がありました。

ペイちゃんの世話に月きりになった母が仕事を

やめたことで、高額な医療費を支払うことが

難しくなっていったのです。

タクシー運転手をするテオさんの給料だけが

家族の唯一の収入源となり、破産寸前まで

追い込まれたこともありました。

「翌朝目が覚めないことを祈りながら眠りました。

それが一番の良い方法だと思いました」

そう語った父親のテオさん。

ペイ・シャンちゃんに掛かる莫大な医療費により、

生活困難な状況にまで追い込まれていったのです。

閉塞された世界

ペイちゃんが祖着する酸素マスクは、彼女の生命装置です。

母親のシュウさんはこの装置が稼働しているか、

常に気を付けていなければなりませんでした。

そこでペイちゃんの足首に、

鈴が付いたアンクレットを装着します。

家の中のちょっとした音にさえ敏感になり、

たとえキッチンやトイレにいたとしても

この鈴の音を聞くことができました。

その音色が、「マミー」と呼ぶように聞こえ、

娘が動けばどんなに騒々しい場所にいても

音色を聞き分けることができたそうです。

そしてペイちゃんが2歳になった頃、

彼女を特殊学級に入れることを考えた両親。

ですがそこには彼らが想像している

以上の困難が待ち受けていました。

少し外に出ただけで、いとも簡単に

感染症にかかってしまったというペイちゃん。

更にはその見た目から、ペイちゃんに対する

周囲の反応に心を痛めたといいます。

「かつて、酸素レベルは0にまで落ちました。

彼女の顔色は青ざめ、命を落とす寸前だったのです。

そして外に出せばクリーチャーのような目で見られ、

子どもを遠ざけようとする親もいたのです。」

こみ上げる涙をこらえながら語った両親。

その悲痛さを想像するだけで胸が張り裂けそうです。

「なぜ私は他の子どもと違うの?」

多くの困難にも負けずに、強靭な

精神力で病気と闘ってきたペイちゃん。

時々両親に、「なぜ私は他の子どもと違うの?」

と尋ねてきたといいます。

そのたびに両親は

「それがあなたの特別な個性なのよ」

と話しました。

大好きなテレビ番組を観たり、

大好きな食べ物を食べたり、

ほんの些細なことで1日を過ごすことが

できる事に幸せを感じたというテオさん。

今を生きることは当たり前の事ではない、

何もない日こそ特別で幸せな1日なのだと教えられますね。

彼女の生きた軌跡

ピアノを弾くことが大好きだったペイちゃん。

この写真はチャリティーコンサートで

ピアノ演奏を果たした時のものです。

これは父の日にペイちゃんから

テオさんへと送られたメッセージカードです。

「私のパパ。彼はとても良いお父さん。

若く見えてハンサムで、大好き!

いつもパパの帰りを待っています。」

その小さな手にペンを握りしめ、

一生懸命描かれたメッセージカードは今でもテオさんの宝物です。

17年の生涯に幕を

とても悲しいことに、ペイちゃんが17歳のときに病状が悪化。

呼吸障害の応急処置としてモルヒネ注射を打った

ペイちゃんはそのまま両親に看取られながら、

病室で静かに息を引き取りました。

いつも危険と隣り合わせで辛く苦しい生活の中でも、

いつでも笑顔を絶やさなかったペイちゃん。

葬儀にはペイちゃんの大好きだった

マイメロディがたくさん並べられ、

彼女の短い生涯を祝福していることの願いが込められました。

身体は3ヶ月の赤ちゃんのままですが、

学校も行けずに小さな赤ちゃんの手で、

字や絵も書けるようになりました。

ピアノ演奏の夢も実現させたのです。

彼女が残した功績とその笑顔は、

私たちの心から消えることはないでしょう。

改めてペイちゃんのご冥福と共に、

ご家族の心にも平穏が戻りますことをお祈り申し上げます。