【悲しい歴史】若き特攻部隊の決意!家族、婚約者に送った遺書が切ない…

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若くして散っていった特攻隊員が

家族や婚約者に送った遺書に涙が止まらない・・・

『あなたは何のために死んだの…』

そう語る一人の女性がいた。

特攻部隊の作戦

太平洋戦争も末期になるころ、

「一億総特攻」の名の下、日本の戦争指導者たちは、

命を散らしてでもアメリカを中心とする

連合国軍に一矢報いようと、様々な特攻作戦を企画立案していました。

いずれの作戦も、1人の命がなくなることを前提として、

かつ1人の命で連合国軍の兵士を多く殺傷することを強いた作戦であり、

その作戦について、今でも是非が問われ続けています。

大本営では真剣に特攻兵器の研究がすすめられ、

かつて連合艦隊の参謀として真珠湾作戦などに携わった

黒島亀人大佐などが積極的にそれらの開発を促進し、

その結果信じがたい「特攻兵器」が誕生することとなったのです。

陸海軍あわせて6000人以上の若い命が

戦場に散った旧日本軍の特攻作戦となったのです。

若き男たちの遺書

若くして散った特攻部隊の遺書には、

家族の愛

婚約者の愛

を綴った遺書が残されています。

紙では伝えられない気持ちが

その遺書から溢れ出てきています。

その遺書は今でも鹿児島県の

知覧特攻平和会館の展示されています。

その一部をご紹介します。

武田竹司少尉(享年18歳)

「大好きな餅が食べたい」

昭和二十年四月十二日、

第三回神雷桜花特別攻撃隊で

一式陸攻の搭乗員として出撃、

南西諸島方面にて戦死。

相花信夫少尉(享年18歳)「母を慕ひて」

第七七振武隊として、

昭和20年5月4日に出撃、戦死。

継母に言えなかった「お母さん」

という言葉を書き綴っています。

穴沢利夫大尉(享年23歳) 婚約者に宛てた手紙

昭和20年4月12日、特別攻撃隊

「第二十振武隊」隊員として一式戦闘機

「隼」に乗って知覧飛行場より出撃、戦死。

女物のマフラーを巻いたまま、

敵艦に突っ込んでいったと伝えられる。

思い続ける婚約者

穴沢利夫大尉の婚約者だった伊達智恵子さんは、

穴沢利夫大尉が吸った煙草の吸い殻をずっと

寄木細工の小箱に入れて持っていました。

数十年経った今でも彼の事を思い続けているのです。

8月15日の終戦の時、

「あなたは何のために死んだの」

と虚脱感におそわれという智恵子さん。

自分に宛てた手紙を公にすることや、

戦時中のことを話すことにためらいがあったと言います。

それでも話すことにした理由を

『知覧からの手紙』で次のように語っています

「最近は、戦争が美談とされることもあるし、

特攻隊を勇ましいと憧れを持つ人もいる。

でも、私たちは戦争がいかに悲惨なものかを知っています。

間違った事実が伝わらないように、

今、話しておかないと、と思ったのです。

あの時代を生きて、身をもって体験したことを語る人は、

毎年少なくなっている。長く生かされていることに、

何らかの使命が課せられているとしたら、

それは語り部の役割かもしれませんね」

伊達智恵子さんは、2013年5月31日(金)

に天国へと旅立ちました。

彼、穴沢利夫さんがいるところへと…

現在私たちは戦争から遠ざかっている年代の人ばかりです。

なので、歴史を通して多くを学び続けなければなりません。

これからの未来のためにも。

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