【感動】嫁が脳卒中で倒れて7年、限界を感じ始めたある日の事。私「ただいま」 嫁「…」 私「そのままでいいから聞いてよ」 嫁「…んぁ?」→そして、なんと…

泣ける, 衝撃, 話題

私60、嫁43、娘20×1

おっさんの話で申し訳ない。

一昨日の深夜このスレを読んで、

ここ数年、

嫁と穏やかに話すことすら

無かったかもしれないと青ざめました。

これは実行に移さないとと思いました。

昨日の夕方、仕事を終えて

真っ直ぐ嫁の部屋に向かうと、

嫁はテレビをボーっとみていました。

部屋に現れた私をチラッと見た後、

またテレビに目線を戻されて

しまいましたが、こんなことで

詰まってはずっと言えないままだと

意を決して、テレビの横にある

ドアの前で立ったまま話しかけました。

私「ただいま、お母さん」

嫁「・・・・・・」

私「そのままでいいから聞いてほしいんよ」

嫁「・・・・・・んぁ?

(テレビを見ているまま)」

私「結婚する前、うちの家に

滅茶苦茶言われても黙って我慢しとったね」

私「結婚して大分経って、

▲▲(娘)も大学生になって、

大人になりよったけんどねえ」

嫁「・・・・・・」

私「私は○○ちゃんのこと

愛しとるけん。

これからもずっとよ。

結婚してくれてありがとう」

嫁「・・・・・・」

私「愛しとるよ、○○」

嫁「・・・・・・」

20秒ほど?待っても反応が無く、

不発かと思いかけた時でした。

テレビを見ているままだった嫁の目から、

つーっと涙が出てきて、

ゆっくりとこちらに首が向きました。

嫁「・・・・・・

(無言で泣きながらこちらを見る嫁)」

私「あ、あ、ごめんよお母さん、

急でびっくりしたかな、

ごめんね、ごめんね(パニック)」

嫁「好きよ」

私「・・・・・・・

(びっくりしすぎて声が出ない)」

嫁「お父さん・・・

ごめんなさい、好きよ」

そこまで聞いた後、

号泣してしまって覚えていません。

嫁の横にすがりついて、

看護師さんが駆けつけるまで

大声で泣いていたようです。

聞いた話では、嫁が

「好きよ、ごめんね」

と繰り返しながら頭を撫でてくれていたそうです。

嫁が脳卒中で倒れて7年、

悪化の一途を辿ってきた中

おおよそ4年ぶりに交わした会話でした。

娘も大阪へ行き、情けなくも

介護に勝手な限界を感じ始めていましたが、

一番苦しんでるのは嫁だ、

ともう一度気づくことが出来ました。

私の親族に酷い中傷を浴びても

微笑んで受け流し、一緒になってくれた嫁。

このスレに私も嫁も救われました、

愛する家族とこのスレに、ありがとう。

うちは結婚する時に私方の親族から、

嫁が農家の子であることに猛反対を受け、

嫁を深く傷つけた過去があります。

嫁は罵詈雑言を微笑みと無言で聞き流し、

一言も私の親族の悪口を言わず、

私を責めることもなく

「大事な息子やけん、

お母さんは心配するんよ。

庇ってくれて、一緒になるって

決めてくれてありがとうね」

と言うばかり。

私が実家と絶縁して一緒になり、

式にも私方の親族は誰一人

連絡もなく、義父母にも

ご迷惑をおかけしました。

3年小梨の後に生まれた一人娘、

私が溺愛し甘やかしたものですから、

嫁は心を鬼にして厳しくしていました。

娘に

「お母さん怖いから嫌い」

と言われた日の夜、

嫁が声も出さずキッチンで

泣いていたのは堪えました。

それで馬鹿な私も育て方を反省して、

娘が小学校を卒業した頃に、

嫁が体調不良になりました。

おかしいかな?

と思っているうちにバタッと倒れ、

意識不明の重体。

一命は取り留めましたが、

寝たきりになり言葉もおぼつかず、悪化していきました。

ここ数年記憶も曖昧で、

時々反応があり単語が

出てくるのですが、

文章にはならない状態。

言葉が出たかと思えば娘に

「誰?」

といってしまうことも。

余命のあるようなものでは

ありませんが、長生きは

しないだろうと言われておりました。

ですから、あのように返事が

返ってきたことが本当に嬉しかった。

娘は中学の間は保健室登校をしたり、

嫁の病室に篭ったりして、

家で何度も大喧嘩をしました。

成人式の迎えの時になって

思い出したように

「ごめんね、大変な時に中学行かなくて。

知らんとこでお母さんが死んでしまうと

思ってたんよ。アホやね(笑)」

「クソにお母さんのことキチガイババアって

言われてキレたけんってのもあるかも。

相手せんかったらええのに、子供やからさ」

「でも、目一杯クソの内申に響くように、

メール保存して録音して校長室まで言いに行ったった!

マジ傑作やった、あのクソの泣いとる顔ww」

こんなことを言われ、

娘も頑張っていたのだと

今更ながら知ったのも、

今回動かないといけないと思った理由です。、

14の女の子、不安で当たり前

だったと分かるのですが…

つくづくダメな父親です。

これからも至らないながら、

家族を愛していることを

ずっと胸に抱いて過ごして行こうと思います。

うちの実家が本当に酷かったのは事実ですので・・・

古い考えの家でした。

縁を切って良かったと思っていますし、

それを悔やんだこともありません。

あんな事があっても、

私と結婚することを望んでいると

言い続けてくれた嫁に深く感謝しています。

蛇足のようになってしまいすみません。

この記事が気にいったら、コメントしてね!!!